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蜂巣直子のストーリーへようこそ。
生い立ちから結婚と離婚、その後のしくじり婚活、そして結婚相談所をはじめた理由まで、赤裸々にお話しをさせていただきます。
千葉県船橋市、2人姉妹の次女として生まれました。
勉強は得意ではなかったのですが、もともと親にあまり期待されていなかったせいか特に何も言われず(笑)、とにかく自分のやりたい事をのびのびとさせてもらっていた記憶があります。
明るく人懐っこい性格は、恐らく父親譲り。
子供の頃からサービス精神があり、たとえばお客様が訪問した時などは率先してお茶をお出しして
「ようこそいらっしゃいませ」
と接待をしながらたくさんの大人達に可愛がってもらっていた記憶があります。
高校の頃に、2つの大きな出来事がありました。
地方に住む大親友が、人間関係を苦に自殺未遂したのです。
彼女になかなか会いに行けない歯がゆさと無力感を感じました。それならばと、毎日励ましの手紙を送り続けました。
また、幼少から可愛がってくれていたご年配の方が、私と別れた直後に亡くなったという事もありました。
いつものように何気なく会話をしていたその人は、数時間後に家でひとり寂しく亡くなっていたそうです。それを知った私は
「最後の会話と知っていたら、違う言葉をかけていたのに」
と大きなショックを受けたのでした。
そんな過去の辛い経験から、
「私なりに今できる事を精いっぱいやろう」
という信念を持つようになりました。
一度目の結婚をしたのは、20代後半の頃、会社の取引先相手でした。
お付き合いをしていた頃から彼の会社は倒産寸前だったのですが、結婚して半年経った頃、本当に倒産してしまいました。わたしは
「大丈夫、こんな時に支えあってこその夫婦でしょ」
彼の報告を聞いた時、そう言葉をかけて彼を抱きしめました。
ここまでは美しい話だったのですが、その後はあまり良い展開にはなりませんでした。
倒産後に失業手当てをもらうだけで再就職先を探すなどの行動を起こさない彼に対し、「彼を支えたい」という私の気持ちが保てなくなったのです。
彼への愛情は蔑みに変わり、彼の全てにイライラするようになりました。
私の言動も原因で、ふたりの間に溝ができてしまいました。
その後、彼なりに頑張って行動も起こしてくれたのですがもう手遅れ。お互いの愛情はすっかり冷めてしまいました。
ふたりで話し合い、別々の道を進んだ方がお互いに良いのではないか、という結論に達しました。
「もう別れよう」
こうして5年の結婚生活があっけなく終わったのでした。
離婚後は、しばらくは途方に暮れていました。
そんな私に友人がすすめてくれたのがマッチングアプリ。
「新しい出会いで記憶を上書きしないと辛いままだよ」
と友人は言いました。
「今すぐマッチングアプリに登録しなさいよ」
と言われ、本当にその場でアプリを登録しました。
しかし、そんな勢いではじめたマッチングアプリが、その後の本格的なしくじり婚活へと繋がってゆくのでした...。
マッチングアプリで出会った方とは、ほとんどが1回デートだけで関係は終わりました。しかし、適度に話が合いそうな方とはお付き合いまで発展する事もありました。
ところが数ヶ月もすると「やっぱり違うなぁ」と、あっけなく交際終了。
この頃の私は、ただ寂しさを埋めるためだけの不毛な活動を繰り返していました。
今思えば相手に対して愛情もなく、それゆえに要求だけは高く、自分に不釣り合いな高スペックばかりを望んでいました。
寂しさを埋めるためとはいえ、男性に対して失礼な事ばかりで今では恥ずかしく思っています。
これでは、本当のパートナーなんて見つかるはずもありません。
その頃の私の年齢は36歳。
マッチングアプリで不毛な活動をしながら、大手の結婚相談所にも登録しました。
活動範囲を広げてみれば、良い出会いもあるのではないかという期待があったからです。
しかし、担当のカウンセラーは初対面の私に対してバッサリとこう言いました。
「あなたの年齢では結婚相談所での市場価値は無いんですよ」
正直、その言葉には驚き傷つきました。
私って市場価値がないのか...。
ひとまず活動はスタートしたものの、そんな事もあってか結婚相談所での活動は全く身に入らず、交際に発展するような出会いにも恵まれず、登録してから3ヶ月であえなく退会しました。
もともと仕事は大好きだったのですが、30代後半から職場環境が大きく変わり、今までの2倍、3倍の仕事量になりました。
充実感や達成感よりも、日々追われる焦りや恐怖が大きくなりました。集中力を欠き、ケアレスミスも増え、連日の寝不足やプレッシャーが重なり、ストレスから体調を崩して緊急入院したこともありました。
同僚も次々と精神面から休職へと追い込まれ、更にその分の仕事を請け負う事になり、次第に生活も荒んでゆきました。
「もっと安らぎのある、人間らしい暮らしがしたいよ」
当時は、よくそんなグチを友人にこぼしていました。
そんな環境でしたが、プライベートではマッチングアプリで出会いと別れを繰り返していました。
そして、当たり前ですが結局心が満たされる事はありませんでした。
何も変わらない自分にも嫌気がさしていたのですが、かといって突破方法も分からずに
「何もしないよりやった方がマシ、とにかく行動!」
と、めげずに婚活を続けていました。
お手軽なマッチングアプリは続けていたものの、もはや良い出会いに対してはほとんど期待する事はありませんでした。
しかし、ここで私の中でようやく変化が。
相手に望むだけではなく、自分を変えてみよう、と思ったのです。
本当に譲れない条件を見つめ直し、お相手に望むだけではないという方向へ変えることが出来ました。
さらに自己分析をしながら、自分の全プロフィールの書き換えを行いました。
すると、マッチングアプリでそれまでは一度も検索されなかった男性がヒットされました。
何となく気になりつつもそのまま放置していたところ、間もなくしてその男性からデートへのお誘いのアクションがありました。
「期待せずに会ってみようかな」
そうして出会った男性が今の旦那様です。
再婚までは長い道のりでしたが、ようやくかけがえのないパートナーに巡り合う事ができました。
今では、周りから羨ましがられるほどの仲良し夫婦と自負しています。
ところで、マッチングアプリを長く経験したことで、プロフィールの重要性を学びました。
プロフィールが整っていないと、自分に合った相手に出会うことは難しい。
しかし完成されたプロフィールで臨めば、より自分に合った相手に沢山出会える事を知りました。
婚活中、マッチングアプリのプロフィール添削をしばしば無償で行っていました。
プロフィール添削した男性から、今までゼロだったのに毎日5〜10人の女性から申込が来るようになった、とお礼が来たこともありました。
これからは人間らしい平穏な暮らしを最優先したいという気持ちが強くなり、結婚を機に長年勤めていた会社を退職することになりました。
仕事に追われていた人生でしたが、ようやくプライベートにも時間を費やすこともできるようになったのです。
そしてこの時出会った趣味の活動をきっかけに、結婚相談所の仕事へとつながってゆきます。
私がハマった趣味は「キッチハイク」というサークルでした。
サークルの内容は、食を通じたイベントをメンバーが立ち上げ、みんなで集まって料理を作ったり、楽しくご飯を食べる、というもの。
キッチハイクとは、まさに私が望んだ「人間らしい平穏な暮らし」のシンボルでした。
私はサークルでそこそこの人気料理人となり、色々な食事会のイベントを立ち上げてはメンバーを集めて料理を振る舞っていました。
ある日、キッチハイクのメンバーのひとりから、お仕事の話をいただきました。
「結婚相談所のカウンセラーになってみませんか?」
その方は私のサービス精神やサポート、気遣いに注目してくださり、結婚相談所のカウンセラー向きではないか、と注目してくださったのです。
そんな嬉しいお誘いをいただき、その時は「前向きに検討します」とお返事をしました。
結婚相談所のお仕事に誘われたことをきっかけに、改めて結婚相談所のお仕事について調べ始めました。そしてIBJだけでなく、他の結婚相談所連盟へも足を運び、担当者と直接お話をさせていただきました。
最初はウサン臭いと思っていた結婚相談所ビジネスでしたが(失礼!)、お話を聞くと皆さん本気で会員様の幸せに向き合っている様子に、正直心を打たれました。
「これからは、人のために出来る事をしよう」
こんな思いから、結婚相談所を立ち上げる決心をしたのでした。
「サンマリー東京」は、そんな蜂巣直子の愛情がたっぷりと詰まった結婚相談所です。
数々の失敗、しくじりを乗り越えた私だから分かる、会員様の気持ちや、結婚できるノウハウがあります。
あなたの気持ちに寄り添い、心を込めてサポートしながら伴走させていただきます。
サンマリー東京から、幸せの輪が広がりますように。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!